当方非モテです

小学校の頃に体験した疑似恋愛ごっこを除くと、彼女いない歴=年齢な俺です。
ついでにオタクでもあります。
でも、非モテをこじらせてオタクになった訳ではありません。
エヴァ手塚治虫ブッダに同時期にのめり込んで、リアルタイム中二病に骨の髄まで感染してしまったが故、気がつくとオタクとしか言いようのない人格形成を誘発させてしまいました。特に、深夜アニメが欠かせない人種となっていたようです。
そんな俺ですが、最近はガッツリのめり込めるアニメがあまりなくなってきた為、ちょっとずつ脱オタと言う言葉に惹かれつつあります。ちなみに、サブカルジョブチェンジしたいと言う訳でもありません。
別に完全な脱オタを目指すつもりはなく、ただ依存状態というレベルから脱することが出来れば構いません。例えば、新番組の全チェック挑戦みたいな馬鹿げた行いから足を洗う、など。そんなものは他のハイセンスな方々にお任せしたいと思います。
さて、俺からオタクを引くと、ひきこもりや非モテが残ります。ひきこもりは、必ず治さねばなりません。これはもう行動を用いて打破するのみです。
そうして非モテが残ります。俺が非モテな理由など明白であり、異性との特別な関係と言うものに興味がほぼ皆無だからと、はっきり言い切る事が出来ます。
するとオタクでもサブカルでもない非モテと言う存在が生まれる訳です。
いや、一般社会的にはオタク・サブカルと呼ばれても間違ってはいないのかも知れませんが。まあ、熱狂的?盲信的ではない点を考慮すれば、一般社会への適応ははるかにマシと言えましょう。
さて、そのような非モテは果たしてどのような存在なのか、俺は疑問に感じる訳です。つまり、ルサンチマンの弱い非モテと言う存在はあり得るのか。
もしかすると、それは独身主義と呼ぶべきものかも知れません。
では、独身主義と非モテの違いとは何でしょうか。
 
まあ、どこまで本気でどこまでネタか分からない上の文章ですが、「非モテ→オタク」は当たり前のように語られる中で、逆は起こり得るのか・どれほど意識されているのか、気になった次第であります。
 
しかし、非モテと言うのは、空を一般社会・海をオタク社会・独身主義を海面に浮かぶビーチボールと喩えれば、そのビーチボールの海面に接触した部分のみを指す語であったりするのでは、と言う考えはありやなしやと。