うーむ。

http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20061004/p1
まず、個人的に一番問題だと思うのは、結局『コンテンツ流通量』を言い訳に出来てしまう状況だと思う。それは上の世代のオタクが「最近は量も多いし、流行が流行で全然ついていけない」というセリフを吐くのもそうだし、同年代が「新しいのが次々出てくるから、過去の作品なんて手が回せない」と漏らすのもそう。この言い訳を元に相互の主張を聞き流す。こうやって状況のせいで、多くのオタクがコミュニケーション・チャンネルを閉ざしているから、年代や好みで派閥割れしてしまっているんじゃないかと。
 
あと、オタクとしての努力をする層は「青田買い」や「コンプリート」を尊ぶところがあるから、ついついkir_royalさんのように「ジャンルを手広く・情報はきっちり収集・まだ未チェックの奴もあるけどとりあえず買う」という活動形態に、ついなってしまいがちだと思う。で、一つ一つに注視する時間も無くなるし、周りもそうやって幾つかの話題を纏めてこなして、何とか毎日毎週毎月をクリアする。一つ一つが忙しいから濃くなる暇も無し。
 
あー。じゃあ。
あっきらっめろっ☆
 
いや、何が主張したいのかと言うと。
『コンテンツ流通量』に無理して追従しなくてもいいんじゃねえ?
結局垂れ流しになっちゃうんなら「青田買い」「コンプリート」なんて目指さなくてもいいんじゃねぇ?
なんというか、自分が楽しんでいるはずのものとじっくり付き合えないっていうのも、おかしな話だよなあ。内心では一つの作品とじっくり付き合い、仲間内で語り合う姿に憧れる訳でしょ?
 
例えば『コンテンツ流通量』に関して、これはもうここ数年じゃ当たり前の流れであることはもう大前提。これをぶち壊すなんてのは、それこそオタク総動員して不買運動を始めるとか、またはオタク全てがオタクを辞めさせられるとか、一気に流れを変えるにはそんな荒療治以外存在しない訳で、まず無理。そんな中でオタクをやっていくには、目についたものを気分でつまみ食いするか、もしくは適応手段を考え出さなければいけない。例えば、幾つかの批評サイトを巡って、自分の好みや意見に合うタイプの批評サイトをこれと決めて、そこからの情報で優先順位をつけるとか。別に雑誌でもリアル仲間でも構わない。要するに、勝手に師匠を作って隠れ弟子入り。情報入力チャンネルの限定。ただ、その厳選作業だけは妥協しない。
おそらく、「幅広く完全に」と言うスタンスそのものが、現在の自分自身の活動を拘束しているオタクは多いと思う。なんでこのような事をしているのかと言えば、不特定の同年代オタクを対象にしたコミュニケーションを、無意識に想定しているからではないかと俺は考える。濃くなれないのは「これだけは仲間内と通じないかも」と保険をかけまくっていて、自分の本心から語りたいものが無いからだ。
「青田買い」に関しては、はっきり言って諦める。あんなのは無茶苦茶センスを磨いた上で、情報通としてかなり努力しないと、本物にはなれない。「コンプリート」に関しては、後々また気になってからでもいい。友人と話題になってからでも構わないし、ふと同じ作家や似たような作品で思い出した時でも構わない。
結論として言いたいのは、オタクのステータスと勘違いして、早さと完璧さを必要以上に求めない事だ。
 
結局、オタクでも器用な人と不器用な人は居るし、天才と凡人も居る。で、大抵はどちらも後者。だけど「オタク」のイメージが、ある意味超人的/狂人的な人たちばかりが頂点に立つし、そういう人たちが妙なオルグをかけるものだから、オタクとはそういうモノなんだと勘違いしてしまう。けれど、本当はそうじゃないんだよね。単純に作品・作家が好きで、評論したり情報交換したり同人書くだけで満足、という層は多々居る。というか、それが普通。そしてそういう人たちは「第3世代が〜」なんて議論はほとんど興味が無い。そして、職場でより責任の重い役職に就いたり家庭を持ったりして、オタク最前線から身を引いた人たちは、概してそういう立ち居地にいると思う。じゃあそれ以外の上の世代は?もっとジャンルの深みに居て、オタク全体を語るオタク論なんてものやらんだろうね。
「第3世代」をバッシングするのは、主は「第3世代」の内側に居る人間と、その直接上に居て関わっている人間だ。要するに、これも愚痴の一種だ。だから、「ヌルくても皆で楽しめる集まり」と捉える層と「濃くて語れなきゃ楽しめない集まり」と捉える層との、『オタク』と言う「共同体幻想」を巡る内ゲバに過ぎない。
 
ただ、その内ゲバを起こす後者のスタンスを支えるのは何か。
単純に趣味が合わないからか?それだけではこれほど根深く語られはしないだろう。
『オタク』と言うのは、『卒業』しなきゃいけない可能性の高い『活動』だ。少なくとも10代20代がそれぞれのオタク『全盛期』である場合が殆ど。就職・転勤・結婚・育児等々で、生活が社会的になるにつれてオタク趣味ばかりにかまけていられない状況を迎える。濃くなるなら今が最後だし、踏ん切りをつける心構えもそろそろ必要だ。特に70年代終わりから80年代初めのボーダーライン上に居る世代にとっては。
勿論、オタク一般化が進めばその傾向は弱まるかも知れない。けれどその反面で、我々の世代と共に果てしないオタク高年齢化に付き合って、コンテンツがどんどん下の世代に楽しめるものから離れていく可能性も、そこには孕んでやしないか。ますます、我々の世代が孤立する可能性をそこに見出せやしないか。何故、深夜アニメは減らないのか。どうして、腐女子向けの少年漫画が現れ続けるのか。PS3がなんであのようなゲーム機を逸脱する進化をしたのか。そこはやはり『オタク』は、作り手・売り手との共犯関係にある。
結局、「自分が楽しめればそれでいい」スタンスのみだと、上からも嫌われるし、下にも何も残さない。それは40年以上続く『オタク文化』をあまりにも冒涜しているという気にもなる。
別に上の世代だって、全部が全部理解できなきゃダメだなんて思ってないだろう。むしろ、我々の世代がそういう作品・作家を知って、どんな反応を示し、どう活動するかが結局見れれば満足するだろう。むしろ、こっちから「この作品は最近だとこれとか影響してそうですね」とかオタクっぽいこと言えば、十分成立する。
ただ、問題は実際に使う場が無いのに「先に知識を覚えろ」というスタンスが、バッシング側にあるのは良くないところでもあると思うが。
 
あー、何だか上手く纏まらなくなってきたが。
やっぱり一番言いたい事は、オタクが沢山居るのにどうも「語る」文化がないがしろにされつつある、というオタク界隈が嫌なんだよね。いや、別に「語る」という行為はオタク活動の一例で、「絵」でも「文章」でも表現形態は何でも良い。要するにコミュニケーションを行う術だ。
ただし、コミュニケーションが成立するには一方が「語る」だけではダメで、「聞く」側もきちんとした態度を持って、相手の言いたいことをきちんと受け止めなければダメだ。そして「語る」側は自らの言いたいことを「語り」終わったら、今度は「聞く」側に回り、相手の「語り」をより良いカタチで引き出せないとダメだ。
オタクでもコミュニケーション・スキルは必要だし、それが一番磨かれるのは顔と顔を付き合わせた会話だ。そして、会話をするには相手を探さなければいけない訳で、手当たり次第なんて上手く行きっこないから自分と合いそうな奴を探さなきゃいけない。でも、自分と合う奴とばかり喋っていてもコミュニケーションは上手くならない。ちょっとずつベクトルのずれた相手とも会話出来る様にならなければいけない。
そういう経験を軽視している人種の多いのが、我々の世代のオタクだと思うのだ。そして、そういう経験は、コミュニティに属して得られる場合は多々ある。
 
まったく、最終的に言いたい事なんて「おたく、何が好きなの?」から始まる会話を、相互に繋げられる努力をしろって事に過ぎないのか。俺は。
でもね、もう少し濃くなるのか、それとも適度に距離置いて社会的な生活へとシフトするかは、そろそろ本気で考えた方がいいよ。「現状維持」の先は、俺には分からない。どう考えても、そんな生活じゃ恋愛も結婚も程遠く感じるし、かといって趣味が充実してるとも言えない気がするもの。
 
最後に。kir_royalさんは自発的にトラバもコメントもしないような当方に反論して下さって、誠に感謝してます。というか、この話題のきっかけとなったあの記事で上がってた深夜アニメが、全部俺の好きなアニメだったってのもこんなに絡んだ理由だったりする。かなり酷い絡み方だとは思うけれど。