雑記その2 (雑記その1「演出意図のあるアニメ作画に拒否反応を示すオタクに関する考察」のあまり連続性ない続き)

ちなみに雑記1はhttp://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20060530/p1です。

  • まずPiさんさんから2ちゃん実況スレ住人を前提としての主張はおかしいとあったのでその返答

前提として間違っていたと反省しています。実況板の住民は瞬間的な「反応」であって、論理的に考えた感想や意見とはかけ離れていますね。また実況板の雰囲気は、不特定多数と同じモノを見ながら似通った感覚でレスをして、騒ぐ事を楽しんでいるように見える点でも、視聴者の一般的な意見とは言いにくいでしょう。
更に言えば、2ちゃんねるでは全体的にレスのやり取りそのものが非常に短い文体で行われており、発言者がどのような立場でどのような意見を述べているのかは、正確に分かることは出来ません。
それでも実況板のレスから持論を展開したのは、この板の雰囲気が昨今のオタクが持つ雰囲気と似通って感じていた為です。直感的に良し悪しを判断し、あまり深いところにまで興味を持とうとはしない、という雰囲気を個人的に感じていたということです。
もしこの感覚があまり共感を得られないようでしたら、本当にワタシの持論が根本から間違っているんでしょう。

  • アニメの見方・作られ方に関して

コメントに対する返答形式で自分なりの意見を述べさせて戴きます。

まず SOLG さんのコメントより

通常アニメーションはキャラを設定どおりに描くことが
前提であり、あまりにもかけ離れたディフォルメはさすがに
違和感を感じるでしょう。
崩したなら、崩したなりの理由が必要だと思います。
 
アニメーターの個性を否定はしませんが、一番いいのは設定された
キャラの絵がきちんと動くというのが評価されるものでは
ないでしょうか。

続いて Matrox さんのコメント

1話単位では面白くてもトータルとしてはそこだけが浮いてしまって欠陥となる。
即ち「やるなら定期的に、その作品の味として個性として最初からやれよ」と批判する側は言いたいのでは無いでしょうか。
一人の暴走を許すなら最初から各話独立させて全員に個性出させろ、そうしない方針なら作品として統一しろ、と。

お二人の意見は正しいと思います。作品世界の一貫性を何で感じるかを考えれば、アニメや漫画の場合はキャラクタの言動や物語の整合性もさることながら、何より「絵」の印象が大きいでしょう。
ただ、それを意図的に崩したと判断出来る状況であるのなら、ある程度の理由は視聴者側で推測可能なはずです。また、アニメ制作がかなりの人数で作られていることを踏まえれば、意味も無い暴走が許されるとは思えません。

そして くにまる さんのコメントより

私の周りですと、

・「制作側の意図を読み取ろうとするのが視聴者側の務め」派
・「視聴者に『務め』を求めるようなものを提供する事自体が間違っている」派

で真っ二つです。作画・演出問わず、ですが。

先のMatroxさんの意見が後者の例という感じでしょうか。真っ二つ、という辺りが昨今のオタク事情を如実に表していると思います。この真っ二つという状況がワタシは問題だと思うのです。
オタクを取り巻く「作品」が「商品」となり、総体を「市場」や「産業」と呼んでいる今日において、後者の意見は重要な意味を持っていると考えます。一人でも多くの視聴者に「商品」を買ってもらうには、一人でも多くの人に作品の良さを分かってもらわなくてはならない。そういう意味ではあまりにも視聴者をおいてけぼりにした作品は好ましくない。
しかしながら、映像表現である以上は制作側の用意した仕掛けがあった方が、作品として面白いと思うのです。そういう作品の方が、後々まで長く作品を楽しんでもらえるのではないでしょうか?制作側の用意した仕掛けを視聴者側が発見して、驚いたり、喜んだり、色々と深読みしたり、そういう意味で楽しむ余地があった方がいいと思うのですが。そもそも「オタク」とはそういう性質を持っていた人々のことを指していたとワタシは思っていたのですが、どうなんでしょうね。

最後に うひょ さんのコメントから

貴殿らは考え違いをしているッ!!
韓国作画で崩れるキャラをこそ問題にすべきだッ!!!!

問題にする理由が、韓国の制作会社に作画が依頼されることとするか、それとも韓国のアニメーターの作画レベルとするかで、全く違うと思うのですが果たしてどちらですか?
後者ならワタシも改善されてしかるべきと思います。作画を優秀なアニメーターに回すか、優秀なアニメーターを育てる、という方法でです。別に国という括りは関係なく。
前者の場合だと、コストやスケジュールの問題や愛国心なんかが絡んできますね。個人的には、アニメの制作環境にまで愛国心を持ち出されるのは、正直くだらないと思っています。本当に自分が面白いと感じたモノは、どこの誰の手によるものであろうが面白いはずです。
コストやスケジュールの問題は「産業」化したアニメ製作における課題だと思います。現状の作品数や制作コストに見合う人員の確保が難しいから、海外へ仕事を持っていく。アニメの本数が多いのがいけないのか、パツパツの金銭で仕事しなきゃいけないとは商いとしておかしいのか、安い分ヘタクソな仕事しか出来ない作り手がいるのがいけないのか。
結局単一の問題では無いですね。
一言だけ個人的な意見を述べさせていただきますと、いい加減に原作販促アニメを数え切れないほど作る状況は止めてもらいたい、と思う限りです。アニメ化しがいのありそうな魅力のある漫画やゲームもそろそろ弾切れとなるのではないか、と不安に感じているのですよ。あまりに原作準拠な作風も、アニメの作り手たちを育てないのではないかと思うんですよね。

  • 雑記その1・その2で言いたいこと

「オタク」の世代論を語るにあたって、多くの人が嗜好の違いや作品に対する態度を比較するのですが、ワタシとしては背景にある「オタク産業」の登場に関してもっと考えるべきだと思うのです。第三世代オタクというのは「オタク産業」にどっぷり浸かった形で登場した訳であり、それを基礎にした行動パターンが第一・第二と異なって見えるポイントだと思うのです。第三世代とは大量生産オタクグッズで非オタクとの差異ゲームを楽しむ、良くも悪くも「消費者」なのではないかと。まさに「お客さま」としての態度を徹底している、と思えませんか?
ただし、アニメや漫画やラノベを好むオタクが消費しているのは「表現」なのです。しかもアニメに至ってはなかなか個人で作るのが難しい表現手段なのです。第一・第二世代は作り手の生む「表現」を非常に大事に受け止めていたと思います。だから作り手の名前を追ったり、手法を調べたりしていた。しかし第三世代に関しては、必ずしもそうとは思えない。
新たなモノが生まれなければ飽きられ「産業」は衰退していくでしょうし、「表現」の可能性だけ追求すれば分かる客しか残らないでしょう。グッズで満足する客ばかりでは「表現」が磨かれない可能性もあるし、屁理屈ばかりで金にならない客ばかりでは「産業」が成り立たない可能性がある。

作り手が商売を学ぶのもさることながら、買い手も商品に関して勉強する必要がある、これが今回のまとめですね。

 
 
 
まあ書けば書くほど自己嫌悪に陥ってるのは秘密ですよ(苦笑)。
「お前何様?」もっともです。でも言ったモン勝ち(苦笑)。