雑記その1

オタク・イズ・デッド』の話題を検索して、比較的何度も触れている方のブログの中から、このような記事を発見。

http://buchi21.blog64.fc2.com/blog-entry-84.html

samurai7は観ていないのだけれど、実況のログで引き合いに出されていた「うつのみや理」は一応名前くらいは知っているし、そして「アクエリオンの変な回」はその時の該当作品スレでどのような反応があったかも覚えています。
それは創聖のアクエリオン第19話「穢れなき悪戯」で、敵の力によって主人公たちが悪夢のような異世界に閉じ込められて・・・、という感じのお話でした。その異世界を表現するのにうつのみや氏が子供向けファンタジー風な絵柄を使ったため、「作画崩壊だ」とか「こんなのは認めない」とか「面白い・最高だ」「これが分からんヤツは勉強不足」うんぬんかんぬん、賛否両論のちょっとした騒ぎとなったんですね。
前述のブログにあった記事も、「勉強不足だ」の視点に立つ筆者が「こんなのは認めない」という最近のアニメ視聴者に対して怒りと軽蔑の念から書かれている訳です。
この方の言い分に特に共感する部分は、

こういう一見不思議な演出が挿入されたときに,どうして理解できない(反応できない)自分を疑わずに,安易に制作者を批判してしまうのか,僕にはまったく理解できない。

キャラクターデザインを養護するほどまでにsamurai7が好きならば奥野ぐらい知っているだろうし,もし奥野を知らない身分であったら,なおさら,批判できないはずだし,黙するべきだ。
自分に知識が無いことを何故彼らは疑わないのか。
そして,どうして『今,俺は面白いものを目撃している!!』と考えずに,批判に走ってしまうのか。

という部分です。
ワタシ自身も不勉強なオタクだと自覚しているけれど、自分の理解を超えた表現に当たった時はとりあえずその意味や意図をまず考えることだけはしており、すぐに「作画崩壊だ」とか「キャラが違う」とか騒ぐ連中は浅はかだろうと思っていたので。

しかし彼らの意見にも分かる部分があります。
その典型的な書き込みを先ほどの記事から孫引きしますと、

3025 名無しになるもんっ♪ sage New! 2006/05/27(土) 00:35 ID:???
>>3004
印象派な作画は求めてないから

3096 名無しになるもんっ♪ sage New! 2006/05/27(土) 00:37 ID:???
うつのみやは、一人で漫画かアニメ作ってろボケ
途中から紛れ込むなや

という部分が彼らの性格をよく表しているのではないでしょうか。
彼らは作画監督やアニメーターの個性が表れる事に対して、強い嫌悪感を示しているようです。特に後者の「一人で漫画かアニメ作ってろ」という言葉の意味は深いと思います。「俺たちの観るモノでそういう事はやるな」という意味なんでしょう。
原作物の場合はもっと極端でしょう。矛先は監督や脚本家にまで向かう。TVアニメ版の『Hellsing』あたりがその例として挙げられますね。

何故、このような態度で彼らはアニメを観ているのかを自分なりに考えてみました。
それは彼らが「オタク」としての意識を持ってアニメを観始めたのが、90年代後半以降のビデオ販売される商品としてのTVアニメだったのではないか?パッケージとして一貫性のある内容の、例えるなら大量生産化したアニメが彼らにとってのアニメなのではないか?という考えです。80年代までのアニメは純粋な映像作品か教育向け、もしくは企業商品の販促媒体であって、その中で作り手がメッセージを織り込んだりカッコイイ動きを詰め込んだりして自己主張していました。それと比較すると90年代のアニメはある種のメッセージ性やキャラクタ自体が「商品」として通用するようになり、その「商品」全体を通したメッセージ性やキャラクタを壊さないように作られたアニメが主流となったのではないか、とワタシは思うのです。

しかし、もう一つのアイディアが浮かびました。
彼らは「アニオタ」ではないのではないか?という考え方です。あくまで他に、ワタシの考えではTVゲームが有力なのですが、それらの属性を持っていたオタクが、「オタク業」のサブ・ジャンルとして「アニメ」に手を伸ばして、現在の2ちゃんねる実況板に現れるようなアニメ視聴者が登場した、というものです。ここ10年ほどのアニメは、漫画やラノベ、そしてTVゲームなどを原作に持つものが多かったり、同時にメディア展開されていたりします。。
ゲームはアニメと比較すると、シナリオやキャラクタを作る人間は限られています。破綻は起こっても、シナリオやキャラの揺らぎはアニメと比べれば遥かに感じにくいはずです。漫画やラノベなら基本的に個人の作業なのでもっと感じないでしょう。ちょっと乱暴な意見かも知れませんが、彼らが拒否反応を示す部分は複数の作り手が入れ代わることによって生まれる「揺らぎ」の部分です。
実際に実況板などを見ていると、彼らは作画のちょっとした変化にかなり敏感であると思います。実況板に居るような人間は元々「粗探し」が好きだというのもありますが、それを差し引いても細かいところまで意外と目が行っている。

彼らにとって「揺らぎ」は「バグ」と感じているのかも知れない。彼らには自分の作り上げたキャラクタ像やストーリー像が漠然とあって、それを無視してアニメの作り手たちが「俺のキャラクタ像・ストーリー像」を提示してくるのが、許せないのかも知れない。原作のあるアニメの場合、原作ファンがアニメ版に対して大抵不満を抱くのは、この「揺らぎ」や「作り手の主張」が影響しているのでしょう。
特にキャラクタに関しては「萌え属性」と言う単語からも分かるように、「萌え」を理解するオタクには事前にキャラクタ・デザインを見た段階でもうキャラクタ像が出来てしまっていて、それを裏切るような方向性は垣間見えただけでも理解不能なのではないか。と、これはミスリードでしょうか。


ちょっと話がまとまらなくなってしまったので、主張するポイントをまとめて終わりとします。

1.オタク向けアニメを観ている視聴者に「アニオタ」と呼べる人種が実は少ないのではないか。
2.ゲーム・漫画・ラノベから「オタク」になったアニメ視聴者は、アニメが集団作業によって作られているために生じる、物語や絵柄の「揺らぎ」に対して免疫がないのではないか。

あと文章の流れから上手くつながらなかったので言わなかった主張ですが、

3.というか彼らは目の前の作品をしっかり観ずに、それを受けて自分の中に作った「作品世界」を見ているので、この「作品世界」を壊されるような情報は本能的に拒絶しているのではないか。

以上を「演出意図のあるアニメ作画に拒否反応を示すオタクに関する考察」のまとめとします。