DQNであるかどうかとか、オタクであるかどうかとかは置いとけよ

そもそもDQNの定義ってなんだよ。
オタクってどんなヤツだよ。
そういう傾向の奴がああいう犯罪をする?
別にそれを統計学的に分析するならともかく、不快感の理由付けに利用するなよ。
彼らの異常性を指摘する?
あからさまに精神疾患な犯罪者も混ざってるだろ。DQNやオタク以前に。
オタクもDQNもとっ捕まったヤツを「アイツは馬鹿だな」とか、「あんなん俺らと違う」とか、「あのキャラじゃ犯罪もするわなw」とか、完全に排除して守りに入ろうとするじゃん。犯罪に至る前の姿は大してかわりゃしないのにさあ。そうやって臭いモノにはフタなんだな。んで最後に、「犯罪するヤツは○○じゃなくてもいつかやるもの」って結論付けるんだろ?お前らは遺伝レベルで犯罪を捉えてるのか。住基ネットとDNA検査で犯罪予備軍ガス室送り出来たら満足か?それなんて多重人格探偵サイコ
 
と、大塚英志に毒された部類の俺がこの記事を読んで、上のようになる。同族嫌悪する同族の同族嫌悪に、ますます同族嫌悪させられる。すなわち自己嫌悪。まあ、何よりあの記事は追記の部分が真っ当なのに、組み立て方がメチャクチャというだけな気がしないでもない。
そんな訳で、ひきこもりとしちゃ親をブチ殺す同類の気持ちはよう分かる。というか、おそらく一つずつ道を外していけば、たどり着くところは同じ。俺があっちに行かないのは、まだ家族に殴りかかるとか暴言を吐くとかの衝動を抑えに抑えて、一応の食事や風呂なんかの生活様式は維持していて、コミュニケーションの不足分はこうやってブログやらで解消するという誉められたモンじゃないが無いよりマシな習慣を続けているという、一応の自分に課したルールの範疇を守っているからであり、それが一つずつ回復不能なレベルまで破っていけば、理性は吹っ飛んで警察のご厄介になるだろうなと危惧している。
結局、人間は社会のルールを軽んじたり忘れたり、倫理観を失ったりすれば、簡単に向こう側の人間となってしまう事を忘れちゃいかんと思うよね。「馬鹿なことを……」とか他人を嘲笑ってるアンタのお隣さんやお向かいさん、同僚や友人が、そしてアンタ自身が踏み外す事もあるんですよ。そんでもって、それが合法的に社会全体で行われる場合もあるんですよ。戦争とかね。暴動とかでもいいや。
 
テレビ観て嘲笑出来る人は幸せだよな。俺、ああいうの見ると「いや、そんなに非常識か……?いや、バカな事をやったとは思うけど、人間理性トんだらあんなもんだろう?俺もああなりかねないしなあ……。なんでそんな無責任なコメントや感想吐けるんだろうなこいつら……。まるで俺が異常者じゃねえか……」と一気に萎えるんだが、もしやそういう人種は俺だけなのか?家族と一緒にリビングで不祥事とかのニュース見てると、会話に激萎え。「あいつらバカな事したって言うけど、お前らが向こうの立場だったら未然に防げるのかよ……、素直に謝罪できるのかよ……」とか考えちゃって。ますますコミュニケーション不全に拍車がかかる。いや、そこら辺はお前の問題だろうが。医者行け。
 
ニュースメディアの、向こう側とこっち側の線引きってなんだろうね。俺には『編集』以外に存在しない気がするんだけどね。向こう側の人たちと地続きの世界で生きてること、人間ちょっとしたことで人もモノも壊せること、くらいのことをみんなが週に一回くらい振り返ってくれたらなあと、つくづく思うひきこもり。
ひきこもりな俺とあんたらの違いは何?
オタクな俺とあんたらの違いは?