「うわあ、読み返してみたらxx日の記事は間違いだらけ。恥ずかしい」と自己言及する心理・行動やその定型化したブログ文化は何なんだろうと、それをしそうになった瞬間に思い付いて恥ずかしさを紛らわそうとした、と全部文字にしてしまった回避の連続をどう表現すれば真摯な態度となるのだろう。
間違いとは、どう処理するべきなのか。お詫びをし、訂正するのか。風化させない為に語り継ぐのか。「間違い」ってなんだ。
「間違い」「失敗」「不適」への態度から見る現代社会、てな視点でモノを考えるのは面白そうだ。心情的なリカバーは偽装されても、社会制度的なリカバーは期待出来ないカンペキ志向・潔癖症気味な現代日本社会、なんて先入観があるんだけど。青少年をターゲットに据えた問題意識が、「間違ってるから正そう」という押し付けがましさを感じて仕方がない。教育問題も雇用問題も。杓子定規で柔軟性に欠けるような。
まあ、生きてる事自体が間違いだと思えば全て解決。いや、自殺の薦めや社会不適合者の非難をしたい訳ではなく。偶然とか、運とか、その程度の結論。その程度だから、大抵の人は深く考えないようにする。下手に言葉で説明出来てしまう不幸が、「失敗」の非寛容の後ろにあるような。法則性・論理性の盲信。森を見て木を見ず。
ニートもひきこもりもいじめも、当事者たちがどう解決に乗り出すか、自浄作用や淘汰が働き出すのを見守る余裕は無いのだろうか。なぜ、是正に焦るのだろう。煽れば煽るほど人々の思考が可塑になる。「人にあらず」的なレッテルに毒されながら、硬化した制度や感情の中に彼らを押し込もうとする。そしてどちらかが破綻して、お互いへの不信を深めると。
レッテル張りや理屈ばった専門世界の我田引水に流されないで、一個の人間・一個の現象とどのように接するべきか。
まあ、肩肘張らず気楽にやるのが一番だよねえ、何よりも。お互いに。
 
これを「東大生の3割が将来をニート・フリーターの可能性に不安視」したアンケートの記事と絡ませれば、最近ご無沙汰なブクマの一つ二つも付いたかもしれんのに。
アンテナやRSSから来る人も居るんだがなあ、反応は一切ないので俺は何をしているんだろうと馬鹿馬鹿しくなる時が。
まあ言及するまでもない駄記事ばかりだという、サイレント魔女☆リティが大活躍してるんだろうな。きっと相当生意気な小娘に違いない。以下に不適切な表現があった為、削除しました。始めからねえよそんなん