『四畳半〜』と書いてから、ああ『ひぐらしのなく頃に』の方が、例としてオタクには分かりやすいじゃねえかと。ギャルゲ的選択分岐のパターンを、それぞれ1パッケージ化して、相関的に全容を見せる作品。
各エピソードに発生する同じキャラの微妙なぶれによって、却って強調されるそのキャラの本質とか。
 
でもこのやり方って、「組織」を描くのに不向きそうな臭いが。あと、テキスト主体だから出来る芸当だという気も。なんだろう、「セカイ系」な想像力の延長線上にある、個に根差した視点が、例に挙げた二作とも根底にある気がする。キャラの本質≒人間の本質を描き出す為の多面性表現。一つ一つは主人公の視点のみによる完全に一人称な物語。全体で見ると、真のメッセージ性や作品世界が垣間見えてくる。
 
……そもそもひぐらしはキャラ萌えなのか?考えない方がいいか。
 
これが「キャラ萌え」の手法による「物語」の形の一例であってるだろうか?
まあ、二次創作という領域の話では無いけれど。そっちでは、キャラを利用した作家性の差異ゲーム的な面もあるような。やまなしおちなしいみなし。
J-POPで言ったら「The・虎舞竜」。え、違う?
 
まだスッキリ来ないな。
とりあえず、「萌え」と聞いただけで脊髄反射しちゃうのは良くないよね。あと、安易に「萌え」と言う語で括ってしまうのも良くない。
「それは『萌え』じゃねえ!『勃ち』だ!」とか。「嫁?妹?家族にしたいのは『萌え』じゃねえ!ただの独占欲だ!」とか。冗談。
 
うん、もうどうとでもなれ。なんにせよ、意味なんてねえよ。