ああ、なるほどね。なんとなく分かった第3世代

世代論への反発とか、共有する作品が無いから世代より類型分類を優先しろとか、こういうのに違和感があったのだけれど、今ふと気がついた。
 
つまり、第3世代って多くが同年代で好みの似た人間とばかりつるんでたから、こうなったんじゃないかな。
 
第3世代のオタクって、上の世代のように必ずしも漫研アニ研・SF研を通過してきたような人って少ないじゃん。少なくとも2〜3人くらいはクラスで話の通じる奴が居て、ソイツとつるんでればクラスで四面楚歌を味わう事も無く、わざわざ学内・学外のオタク・コミュニティに安住の地を求める必要が無かった。
オタク・コミュニティ、つまり中学・高校の漫研でもいいし、大学のアニ研・SF研でもいいし、特定作品・作家ファンの地方サークルとかでもいい。要するに、先輩・後輩関係、年上・年下関係、知識や思い入れのレベルにばらつきのある、好みさえ微妙に異なる、そういうオタク趣味の集団。
そういう場所で特定の作品について語り出すと、例えば知らない奴が居る。という訳で、第一にその作品を貸したり皆で観たりする機会が生まれる。例えば俺はその作品を嫌いだと言う奴が居る。実際に作品を引用しながら、ここはスゴイとかここが気に食わんとか、議論によって作品評論がされる。例えば同じ作品を楽しんでいるのに、世界観を語り出す一方の奴とキャラクターの可愛さのみを語る奴が一緒に居る。双方が見どころ・読みどころを指摘していくことによって、それぞれがますます作品の魅力を深く知るようになる。
もしこういうコミュニティにマトモな第3世代オタクが一定数居れば、歳の離れたファンやOBと接する機会もあったんじゃないかなあ、と思う。そしてこれほど「訳の分からん世代」という扱われ方はしなかったんじゃないだろうか。
ただ、そうはならなかったのは「第3世代オタク」の規模が膨らみ過ぎて、既存の組織とその人員が対応できない規模となってしまったり、そういう組織を必要だと感じなかった「第3世代オタク」が多かったりしたからではないか。その結果として、現在のような断絶したオタク社会が成立してしまったのではないか。
 
個人的には、上の世代を叩くのはお門違いだという印象はある。彼らは我々に何もしてこなかったというけれど、じゃあ『オタク学入門』とか『おたくの精神史』とかは一体どこに向けられて書かれた本なのだろう。彼らが様々な場所で行ってきた講演活動やイベントや大学での講義は、第3世代にはなんの役に立たないものだったんだろうか。それ以外のアプローチは?結局、届く距離まで行かなかったのは自分自身の責任かも知れない。
 
オタク・コミュニティに所属するという「オタク化」の機会を得なかったことによって、自己のイメージするオタク像のみを理由に自らを「オタク」と呼ぶ第3世代。そりゃあ好みも中身もバラバラだろうさ。
 
つうか、「オタク」ってどこまでが「オタク」なの?ハマりこんでれば「オタク」?知識が深ければ「オタク」?
個人的には「オタク趣味」が唯一の趣味、もしくは一番大事、せめて僅差で2番目くらいに楽しんでいる、そういう人が「オタク」なんだと思うのだけれど。
多趣味な中にゲームやマンガが入ってる人まで、「オタク」扱いしてない?
俺が本質的には「オタク」じゃないと思っている「隠れオタ」という辺りまで、「オタク」と見なしているのかな?
ようわからんわ。
 
つうか、幼少期がバブル時代でゲームやマンガやアニメや玩具に囲まれて育った子供たちなんだから、大人になっても身近にそれがある人間なんて腐るほど居るじゃん。「オタク」と「趣味人」がごっちゃになってる連中なんて黙殺しちゃえよ。
 
はいはいわろすわろすですわー
 
破綻した。かなり酷い。