調べる気が起きねえ

もう10月だけど何がどの時間帯に始まって、どれが面白そうなのか全く分からない。自分専用新番組表でも作ろうかと思ったけど、やる気がでねえ。結局原作ファンとしてブラクラを楽しみにしている以外に、あんまり最近のアニメに期待しなくなったようだ。
しかし、自分に合うアニメかどうかなんて1話の時点で、それどころか極論すればオープニングの時点で、判断出来てしまう気もする。多くのアニメは最終回まで観ても、1話の印象が若干上方修正されるか下方修正されるか。それを逸脱するのは、よっぽどシナリオに不備があった場合のみと言える。
 
アニメの最終回批判に「伏線」云々の話があるが、「伏せられたまま」というのも物語の整合性に問題がなければ選択肢としてアリなんじゃないか、という当たり前な事を今更に考え直す。ここから妄言を吐くが「伏線」全オープンを好む連中って、「攻略本」や「ガイドブック」が手放せない連中なのかなあ、と。「全クリ」しないとゲームやった事にならないという思考とか。
 
多分、伏線を明らかにしないまま印象に残る光景で物語を閉じるという手法は、「小説」という表現形態だと納得され感動を与えやすいんだろうなあ。客観的な「映像」より、主観的な「言葉」だから理解しやすいシーン。だからライトノベルやノベルゲームがオタク界の主力商品へとなったのだろうなあ。
 
なんと言うか、「言語化された要素」を「脳内で映像化」出来る人間は増えたけど、「映像」を「言語化」出来る人間てあまり居ないよなあ。そんな連中が批評してるつもりになってもなあ。なんと言うか、どの作品も俺視点のみでしか語られてない文章とか、作品愛は感じるのに作品の空気感が伝わってこない文章とか、勿体無いという気がする。特撮とかホラーとかは書き手のノリがジャンルのノリそのままだからいいんだけどね、アニメの場合はどんな作品でも萌え・エロ視点しかないとか、シリアスしか認めずギャグやコメディ物までシリアスに切るとか、視点が固すぎるのが多くて。
まだその作品に触れていない人へ作品の空気感を伝えられるような文章を書いて欲しい。そんな表現技術を持つ人間に増えてもらいたい。
それはオタク文化に興味無い人間へ、騙しのテクニックとして通用するものでもあるんじゃないか。可愛い萌え萌えお役所公認キャラクターも、企画書に「町の名物○○をアピールしつつ」「子供に親しまれるような」「女性的な柔らかさ」とか入れておけばきっと無問題。
 
まあ、アニメは世間どころかオタクにも舐められてるジャンルなのかも。テレビでやってるというファーストコンタクトの容易さに騙されて、本質まで理解されていないという。タダほど高いものはない。くわばらくわばら。完成度ばかりを求めているなら、テレビアニメなんぞ観ない方がいいよ。