ん?その先は?

http://bonnou.269g.net/article/2959847.html

突如疑問に感じたのだけれど・・・「結局『非モテ』は何がしたいんだ?」と。
『オタク』は当然分かる。そっち系の趣味を楽しみたい人。
『文化系ニート』も分かる。趣味に強いこだわりがあって、内心では作り手や批評家になりたい人。
だけど、『非モテ』はあくまで「モテない人」。基本はその一点のみで、あとは人によって捉え方が違うというか議論の方向がバラバラだというか。
結局、『非モテ』なる存在は恋愛をしたいのかしたくないのか、そこら辺きっちり落とし前つけないと先がなんもありゃしない。あ、でもそれがはっきりすると、片や『脱オタ』とか『改造』、片や『喪男道』の、別ラベルになりそうな気がしないでもないな。
結局どちらにも決心つかずに、世間に呪詛をこぼしながら自嘲に勤しんでるのが『非モテ』ということかしらねえ。『非モテ』は「モテない」という土俵で、みなが平等であると。
・・・それのどこが楽しいんだ?
 
まあ、恋愛が出来なくても結婚は出来るし、恋愛をしなくともセックスは出来るんだよね。多分。
そういうシステムが世の中にはいっぱい。
非モテ』は恋愛出来ないと言いながら、それが必須課程であると信じきっているように見える。いや、確かに「風俗」や「見合い」なんてシステムを、それぞれの適齢期前から計算に入れている子供なんていないだろうけど。
 
「『非モテ』の人たちって、まるで心に貞操帯をつけてるみたい」
「おかしな比喩禁止!」
「ふぇ〜」
 
まあ、「パンがなければケーキを〜」と言われて腹は立てる輩はいるが、「パンがないので雑草食って生活してました」という輩はなかなか居ないっぽい。もしくはそういう輩をDQNと呼ぶのかも知れない。食うのに貪欲な奴の方が美味いものを食う機会に恵まれる人生を過ごすというのは、食べ物でも異性でもおんなじかも知れん。
どっちにしろ野郎による「恋愛」を巡る諸言説は、モテてようがなかろうが結局面白くないという事に最近気付いた。人間も多くの動物同様に選択権がメスにあって、オスに出来るのは襲い掛かるかメスの好みに合うように振る舞うかの2択しかないんだよなあ。
だから、女が「オタクはダメだ」と言い出したらダメなんだよ。理屈じゃなく。笑うしかないね。