「オタク死後」のオタク界隈を、誰か考えてみてくれよ

ところでファンとオタクとマニアの違いは何だろう。
いや、別に教えて欲しい訳ではない。それなら『はてな人力検索』にかけるって。
ファンでもマニアでもないその立ち位置を理解して、自称したりレッテル張ったりしている人がどれほど居るか。
昔は〇〇ファンとか××マニアと呼ばれていたジャンルが、今では酷く曖昧にオタクの領域だと思われている。そして「オタク」は増えている。
 
「オタク」という語の含む意味が曖昧で寛容だった故の、氾濫。
なんだ、なら旧来のオタクは結局マスコミに敗北したと言う事か。マスコミの流通した「オタク」像に勝てなかったんだ。
ファンほど受身一辺倒ではなく、マニアほど倒錯には至っていない。そして何より幅が広い。だから「オタク」。便利な言葉「オタク」。でも実態がよく分からない。けれど服装はダサくて、喋りは吃音交じりらしい。どうやら秋葉原や夏と冬の有明によく集まるらしい。普段は人の話を聞かないくせに、語り出すとウザいらしい。それが「オタク」。それホントにオタク?
 
さて、あと2〜3年のうちにオタク第4世代が発言をする機会が現れると思うのだが、何故彼らの動向に目をつけている人はあまり見かけないのだろうか。現主流派たる第3世代を巡る空回りが、それはそれは面白いからだろうか。
第4世代も大半は、第3世代とそう大差ないかも知れない。主流は非モテ路線であろう可能性は高い。相変わらずなコンテンツ量に押し流されて、居心地の良いジャンルで何も考えずに騒ぐばかりの存在かも知れない。
しかし第4世代の中には第1世代を親にもっていて、彼らの影響により労せずして第1世代の基礎教養を身につけているような、そんな連中も混じっているに違いない。そしてその基礎教養の欠如こそ、第3世代が第1・第2世代をうんざりさせた要因でもあったはずだ。
彼らのような存在が登場すれば、第1世代は多少救われた気にもなるだろう。また、第3世代に含まれながらも商業的主流路線にアンチを示す面々は、この連中と付き合えるくらいの基礎教養を持たないと、肩身は狭くなる一方かも知れない。もしくは全く逆の濃さを求めるとか。
 
DOS/Vパワーレポート先月号だか先々月号に載っていた後藤弘茂氏の連載コラムから思いついた。リビングルームに家族の人数分テレビがあって、おおよその家庭用ゲーム機が設置されてて、それぞれが楽しんでいるゲームや映画やらを横から覗いて口を挟む家族、これも団欒でしょ?という内容。『ゴジラ対ヘドラ』観ていると親父が「ヘドラの上陸地点は○○なんだ」と教えてくれる家庭、こんな家で育った子供がこれから表舞台に出てくるのかと思うと、非モテや文化系ニートなんぞどうでもよくなる。
結局、第3世代が非モテや文化系ニートを話題にするのは、ヌルオタばかりで常に一般社会との距離感を気に病んでいるからに過ぎないのだな。結局、趣味と社会生活の両立が可能なポイントの模索。もしくは社会生活を忘れる術。
ただ、世間が、世知辛い。同世代が、世知辛い。顔に煩い、カネに煩い、職に煩い、趣味に煩い・・・。ん?これもホントにそうなの?
どちらにせよ上手く折り合いをつけたオタク・元オタクの生んだ、真・オタク第2世代がやってくる。もしくはオタク2.0(笑)。世代が積み重なり、文化に伝統が加わる。そして、如何にオタクとして存在するかV.S.如何にオタクを存続させるか。個人としてひたすらに二次元愛を貫く喪男道V.S.オタクでありながら恋人・家庭の両立を求める非モテ道。
 
まあ、エロゲーと可愛い女の子以外興味ありません!という素敵な趣味の方が、家庭を持ち家族と趣味を共有するなんて姿は・・・、さすがに想像出来ねえな。その問題は、さようなら世間。
 
誰かズバリ言ってやれ。第3世代を取り巻く状況は、大した問題じゃないと。