また人のブログをネタに相撲を取ってみる

ある日気がついたら『電源を入れてください〜都市ノォト〜』をブックマークに入れていた俺がいる。
そしてさっき新しい記事を見たら以下にリンクを貼って、
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060717#1153169008
以下のような意見を書いていた。
http://buchi21.blog64.fc2.com/blog-entry-207.html
で、オチが

ようするに

可愛いは正義

・・・しまった!先に言われた!(爆笑)
 
果たして「アニメ」とはメディアミックス世代の大衆娯楽なのか、はたまた20世紀の映像文化から生まれた異端の芸術なのか。極論しちゃうとこうなんだよね。ぶっちゃけ潮目が変わったのではなくて、オタクのジャンル細分化が進んだだけなのと、数の論理で「萌えオタ」的連中に主導権が移っただけなんじゃないか。
正直に言って、オタクがオタク産業を支える義務なんて何一つ無い訳であり、別に売れそうにない作品が増えたってオタクが本質的に困るわけではない。別にアニメや漫画見れなくなっても死ぬことは無いわけだし、つまらない作品ばかりだったら別に金を払う必要も無い訳だ。生活が苦しければアニメや漫画どころじゃない。売れない作品で困るのは、「コンテンツ・ビジネス」なんて言葉でアガリをごっそり戴いていた皆様方と、コンテンツの制作者だろう。でも、きっとコンテンツ制作者の中にはもう金銭・生活そっちのけで、衝動的にコンテンツを作ってしまう芸術家肌な人間はやっぱり出てくるんだろうな。
「アニメや漫画の見れる、ささやかでも幸せな生活」を望むオタクの本音が隠れているのが、「コンテンツ・ビジネス」擁護的な発言の胆ではないか。別に叩くつもりは無い。下流とか中流とかそんな話はどうでもいい。
しかしながら、表現手法の話をするのに「カネの話」を絡ませるのは、なんともなあという感じである。表現手法の話は感性の問題で、多数派だからとか売れるとかを理由に優劣のつく話ではないはずだが。『ハルヒ』に合う合わないで判断する前に、これがどういうアニメだったら効果的なのかを考えてみりゃいいじゃない。または逆にそういう先入観取っ払って無心で眺めてみりゃあいいじゃない。正直言って自分の領分で語るべきでない話題を簡単に断言するのはどうなのよ?なんて思うのだけれど。
別に漫画絵の可愛い女の子の、可愛さだけを前面に押し出すのだけがアニメの表現領域じゃないでしょう。もちろん巨大ロボットだけでも、コミカルな動きだけでもない訳で。ただ、そういう現実にはない「嘘っぽい」表現に「リアリティ」を感じさせるのがアニメの醍醐味でもあるんじゃないか。俺がそれに気付いたのは最近で、うまく言葉に出来なかった今敏監督作品の面白さを考えてて、ふと分かった事だったのだけれど。
まあ作画オタの世界が閉鎖的で敷居の高い世界に感じることは俺自身も同感なのだけれど、それでも彼らは作画が注目に値すればどんな作品でもチェックする辺りは尊敬すべきだし、なんだかんだ目をつけるシーンにはオリジナリティがあって「ああ、アニメはこんなことも出来るんだなあ」と驚きは共感できる。しかも「アニメ」に拘る理由として、「作画」に対抗できる理由って正直見当たらないんだよな。物語性とか演技とか演出とかは、他のジャンルで圧倒的に優位な文化が存在するんだから。そこら辺はアニメなんかパクリばっかですよ(笑)。表現手法としてのアニメ最大のオリジナリティって、手描きの絵を連続で描いて動画としている事じゃないかと。その点を強く認識して活動しているから、作画オタってアニオタの中でも最も濃い部類として扱われてるのではないかと。
 
オタクの一人一人に「自分に才能と金があったら何を作りたいか」をアンケートしたら面白いかもね。多分、ゲームやマンガや小説に比べて、アニメは圧倒的に少人数になりそう。でも、「どんな作品を」という質問が加わったら一番面白い答えを含んでそうなのはアニメの連中なんじゃないか、とか思ったり。