自分の意見は後にして、「ハルヒ=ポスト・エヴァ」に関して

6月28日分のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20060628/p1)に続けて、そのうち書こうと思っていたのだけれど、自分の考えよりずっとまともな記事を見つけたので、そちらを挙げておく。
シロクマの屑籠(汎適所属)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060708
とりあえずこちらの記事の、一番最後の文章まで読んで欲しいところ。この騒動を非難する側は、いや擁護する一部の理論武装派もだけれど、最後の補足・蛇足をきちんと噛み締めた上で発言せねばいけんなあ。
で、こちらの方の指摘で私が注目したいのは以下。

 ちなみに、ハルヒという作品があらゆる点でエヴァを超克すると仮定した場合、オタク達はエヴァンゲリオンコンプレックスを克服する事が出来るのだろうか?全くそんな事は無い。エヴァンゲリオンによって白昼の元に晒された自分自身の葛藤や適応上の偏りに、彼らは嬉々として蓋をするのだろう、「ハルヒエヴァを克服した!」と快哉を叫びながら。いや、あなた自身のコンプレックスは克服されるどころか、ますます防衛されるだけなんですが。ハルヒの如何に関わらず、エヴァに指摘された課題を克服せずに防衛したオタクはこれからもエヴァで指摘された葛藤を抱えたまま生き続けることになる。ハルヒを消費し“ポストエヴァ”として称揚する事は、エヴァにこじ開けられた自分自身の葛藤や問題点から目隠しをし、嫌な記憶から目を逸らせることに貢献するが、そのような防衛を強固に必要としているオタクは、いつまでもシンジやアスカやレイのままであって、キョンハルヒ長門さんには“進化”しないだろう。

ここに大いに同意しつつも、こんなコンプレックスさえ抱いていないオタク達が確実に増えているのではないか、とも思っている。あとは、この理屈を絶対分かってるくせに、それを隠して声を大に「ハルヒエヴァを〜」と言っている面々が確実に居て、それが個人的にとても腹立たしい。
それにしてもだ、『エヴァ』が描いてたのって「お互い分かり合いたいのに分かり合えない人間の性」だから当時話題になったのだろうけど、いつの間にやら世の中は「俺に分からんモノは無価値・無意味、俺を分からんモノも無価値・無意味」みたいな開き直りが横行しているような・・・。

 
あと、アンチ「ポスト・エヴァ」派が「非モテサブカル」だという説も見つけたので挙げる。
(lab.for)the days2 迷走篇(彼女の首に手をかけない方法)
http://d.hatena.ne.jp/megaane/comment?date=20060708
非モテサブカル」VS「キモオタ」・・・。この「非モテサブカル」と「キモオタ」ってどのような人々を指すのか結構厄介なポイントだと思うのだが。「虚構」に対する態度の問題だけならこの視点は正しいと思うのだけれど、どうも「ハルヒ」の話題って作品内容以上な空回りを起こしている印象がある。
個人的に今オタク消費者層って、「サブカル」「旧来のオタク」「現代思想カブレな第3世代」「キモオタ・ヌルオタ」の四つ巴なんじゃないかという実感。ファッションでたまにオサレアニメ見てる連中と、オタク・ファシズム抱えてアニメ見てる連中と、アニメ見る自分をアカデミズムで自己肯定してる連中と、もう惰性でアニメ見て屈託無く騒いでる連中。この四派閥が作品内容に合わせて、組んだり対立したりしながら、自分の派閥を強化するのに必死になってる気がする。『ハルヒ』の前は『エウレカ』が賛否両論だったんだよなあ・・・。
ハルヒ』に関しては「サブカル」がスルーしてる状況で、「現代思想カブレ」がエヴァのトラウマから脱出を図るのと、自分たちのポジション明確化のために、「キモオタ・ヌルオタ」が「祭り」の中で安易に言い出した「ポスト・エヴァ」的なノリに理論武装で油を注いで、その連合に対して「旧オタ」内のエヴァ信者が咬みついてる印象。
エウレカ』の時は主に「サブカル」がご用達メディアに乗せられて騒いでたのを、「旧オタ」と「現代思想カブレ」が徹底抗戦。「キモオタ・ヌルオタ」は祭りとなったら騒ぎ、盛り上がりそうになければ忘れ。
なんかねえ、アイデンティティ闘争だね。結局「俺のセンスは間違ってない」の押し付け合いに過ぎない。もうどうなるかは分からない。声がデカけりゃ勝ちなのか?人数多けりゃ勝ちなのか?
ただ、下手に言葉尻を取られるような発言を、安易にする人が多いのが問題なんじゃないかな?「ポスト・エヴァ」とか「エヴァ超えた」とか言い出さなきゃ、エヴァ信者が着火することはなかったんじゃないかと。手放しにベタベタ誉めて、アンチが来るとファビョるから、こうなるんじゃないの?
 
個人的に『ハルヒ』は「キモオタ・ヌルオタ」の感覚を上手く表現してたアニメだとは思う。最初に示されるキョンの独白は、「こんなものあり得ないと知ってるんだけどちょっとは現実でも期待してしまう」という「ヌルオタ」的な視点に思いっきり歩み寄って、話を始めてくれている。ハルヒは「自分にとって期待していることが現実に起きず、理解者もいなかった」点が「キモオタ」的。具体的な活動内容なんてなく立ち上げられたSOS団なんて、昨今の自大学に『げんしけん』を求める「ヌルオタ」大学生や、「祭り」を待ってる「VIPPER」の欲求・衝動となんら変わらない。そこにあり得ない「世界創造能力」と、恋人未満の「恋愛要素」が、鍵としてお話を盛り上げてくれる。
だから作品として確かに「今期一番」に面白かったのは認める。だが、『エヴァ』と並べるとなるとベクトルが違いすぎて、発言してる面々の言葉感覚を疑ってしまう。
 
「まあ所詮アニメの話なんだけどね!!」
このスタンスはやっぱり根っこに持ってないといけないな。ただ、本気でそのスタンスを忘れられる作品だったとしたら、それこそ真の名作なのだろう。またはそのスタンスを失ってからが「真のオタク」なのかも知れないが。行き過ぎて「狂信者」にならないことを祈りつつ。