サウンドエンジンフリーのバージョンがいつの間にか更新していたので、同じアニソンをテンポ変えたりキー変えたりしながら何回も聴き倒す。やっぱり自分にとって気持ちの良いテンポというのがあって、おそらくテンポ96〜124くらいが、一番俺のノレるテンポなんだなあと再認識する。というか、ドラム叩いててもその辺りのテンポが一番良くて、その狭いレンジから外れると、平気でヨレたりモタったりハシったり勝手にブレイクしたり。だからスタチャ系アニメの音源とか、めっちゃくちゃ早えよな、どんだけ生き急いでるんだ現行オタク主流派、と思ったりするのだけれど。スピードの快楽より物量の快楽の方が強い俺にとっては、テンポ上げるよりもダンプカーが飛び込んできたようなホーンアンサンブルを、空間を埋め尽くすようなサックスソロを、コード感を失うような怒涛のパーカッション構成をと、如何にもサイケデリック万歳な方向に欲求が走る訳で。
 
アニソンのテンポ高速化もそうだし、二次元エロの過激化にも思うのだが、「オタク界隈が閉じてインフレ起こしてんなあ」と考えているところに、小谷野敦の『退屈論』を読んだらなんとなく「そういうモンなのかもしんねえなあ」と。結局、以前のレベルに飽きちゃって、それでも他のところに行くと「お決まりパターン」が分からないから、なるべく同じ場所の目新しいモンを欲しがるんだろうなあと。
 
あとは、引きこもると余計に病むのも、コレが理由だとよう分かるわなあと。退屈になると、それに行き着く。何かしてないと、不安で仕方なくなる。しかし、新しい事や外で何かをやる事に恐怖心があるから、同じような行動でグルグル回る。すると飽きてきて、余計に病む。あー、すっきり分かるわ。
 
退屈を紛らわすのに、メディアと内輪ネタに依存するのが、オタク。なんつうと大分突き放してる印象だけど、結局オタクの外も大して変わらないんだよな。隣人で、大差ない。凡人ならば。タガが外れた変人奇人天才鬼才以外は。
かつてはオタク界隈って、タガの外れた変人奇人天才鬼才が目立っていたから妙な優越感に浸れたのだろうけど、構造が逆転して今は本物の方がかえって危ない視線で見られているような気がするのは俺だけか。
 
んで、ニセモノが大層な口でオタク論とかオタクdisとかカマすからうさんくせえんだ。まあいいのか。退屈を紛らわしているだけなら。つまんねえ独り言なんて誰も聞いてねえってな。書いてて全部自分に跳ね返ってくるから、セルフSMで快感でんな。
 
まあ、節操なく、右や左の区別なく、時に学問に寄り添ってごった煮で、使えるモンは何でも使って自己の属する文化を正当化っちゅうのもね。真逆に使って同属disるのもね。どうかと思うんだよね。もうちょい肩肘張らない視点で見た方がええよね。とか思うんだけどね。
 
どうでもいい内容で時間を無駄にした。