「拡散と浸透」とは便利な言葉だな、とつくづく思う昨今のオタク界隈

ニコニコ動画のアニメに対する反応の良さを見るたび、括弧で括った言葉をつるっと吐き出しそうになる。なるほどなあ、共有する文化にベッタリな人種がいっぱいだ、そりゃあ呆れる人間も出てくるわなあ、とか思ったりするが、案の定俺もしっかり観ているあたり同じ穴の狢だなあと、少し虚しくなるのだった。
アメリカの片田舎でケーブルテレビの再放送番組ばかり観ているような、そんな人間がいっぱいだー、地域に縛られておらずにコミュニケーションしている点は違うが。しかし本当にコミュニケーション成立しているかどうかは知らない。無指向性コミュニケーションのS/N比なんて、計り方が分からん。
確実に「オタクってなんだ?」という核の部分が失われたまま、雰囲気的な「オタク系」がズルズルと「オタク」に格上げされたような印象。誰もがみなオタクになれる時代なので、むしろオタクに拘泥する意味が見つけにくい。変に拘泥すると「マニア化」「コレクター化」してしまっているような感じ、執着しなくとも変にオタク的な所作だけ覚えて「ファン化」「チェック男子・女子化」してしまうような印象。最近このオタク的な所作が妙に一人歩きして普及しているような違和感を受けて、なかなかに不快。イチャモンの付け方とか、大袈裟な騒ぎ方とか。
『オタク論』に対するツッコミもそうだし、グレンラガンのアレもそうだし、らきすたの取り上げられ方もそうで、何だか「オタク作法」にとりつかれすぎて、手段と目的が逆転してしまっているような。
こりゃキモいし居心地悪いと思えて、最近ますます「俺はオタクじゃないよ」護身を取り戻しつつある。距離感保たないと「ウザい人」か「キモい人」で終わっちゃうわ、素晴らしき20代が。
やっぱり人を選ぶよな、オタクな振る舞いは、と自省を込めて。
 
それにしても、と学会は今年のトンデモ本のノミネート作に『オタク論』を入れて、セルフツッコミという名で自己批判でもしたら誰も文句つけられねえな、流石は第一世代となるんじゃないか、なんつうバカな事を考えるのは、オタクとしちゃ最低クラスに生温くて思慮の浅い俺だけか。
 
アウトドアな趣味の一つくらい覚えた方が人生の楽しみが増えるな、とか考え始めたこの頃。
軽めの登山とか。舐めたら死ぬぞ。小松救助隊の世話になるからやめとけ。