メタ視はオタクの深呼吸。一息ついて冷静に。だって子どもじゃないんだから。
しかし冷静になりすぎて最近のホットな汎オタク達から浮いてしまい、タイミングを逃した感やノリの違いからますますメタ視が悪化するのでした。
 
オタクはオタクである事を自覚した時点で、自らのオタク像に縛られてしまうに違いない。
だから踊らぬオタクには踊るオタクが理解出来ない。結果、手慣れたメタ視で解釈をつける。
だから踊るオタクには踊らぬオタクが理解出来ない。だから「踊ればいいのに」で結論。
 
メタな人たちは多分、「普通の人たち」を意識しているから、メタなんだろうと思うし、ベタな人たちは「普通のオタク」という意識があるから、ベタな事をやるんだと思う。そういう枷。
 
しかし俺が好きなのは、メタな人が堪えきれずにほとばしらせ始めるベタさであり、そこに焦らしや葛藤があるからこそ気持ち良さげなのであるが、そんな性的な意味でしか読めない文章は我ながらどうかと思う。
 
外交的も内向的もないんです。オナニーはオナニーです。オナニーは文化だ。大いに本筋からズレた。
 
むしろメタ視さえもはやベタだと思えるようになるのがはてな村オタク界隈。
 
誰がオタクは萌えたり燃えたり歌ったり踊ったり感想や批評書いたりウンチク語ったり仮装したり勉強したりセンス磨いたり優越感ゲームに勤しんだりしなきゃならんと決めたんですか?そんなん知らんですよ!定義なんか無い方がいいんだ!定義なんて多数派の為の共通認識じゃないか!スクラップ&スクラップ
 
そんな事より最近オタクとしてどうかより、人間としてどうか、大人としてどうなのかと考えると、色々どうしたもんかと思う物事が自他の区切りなくいっぱいあるんだよね、どうしたもんだろう。