ちなみに上の記事http://d.hatena.ne.jp/t-j/20070422の『冲方式正しさ⇔深夜アニメ式正しさ』から、「うーん、それだけで語るのは難しくねえ?」と思って比較的即興で捻り出した傾向マップだったりする。で、前述の主要素を縦ベクトルに見出して、その縦ベクトルの要素をどう生かすかとして横ベクトルで補完したつもり。で、高さはオマケ。一番荒れるポイントが高さ問題だしな。
そして、個人的には「I.G.と京アニの中間地点に配置するなら、ufotableよりサンライズなんじゃねえか?」とか思ったりする。これと比較すると、ufotableはまだI.G.に若干近い。BONESよりは遠いかも知れん。サンライズより京アニ寄りとなるとJ.C.スタッフとか、あともっと分かりやすいのがAICか。
そしてサンライズと来れば、目の前に現れるはコードギアス。これほど厄介な作品は無いよな。占領下の日本独立、もしかすればブリタニア帝国打倒というでっかい見方も出来れば、敵同士となった親友二人のBL材料や美少女の直球エロによるズリネタを目的といった超個人的で快楽的な見方も出来る。ロボットアニメともとれるし、能力者物ともとれるし、複雑で壮大な家族ケンカともとれる。何でもあり。しかもソレを狙ってやってる。かといって、物語が大きく破綻しているかといえばそうでもない。多少勢いにごまかされているのかも知れないが。で、実際に売れてる。バケモンだねえ。
多分、横ベクトル上では大きな違いがあるが、縦ベクトル上ではまなびストレートコードギアスは比較的近いように感じる。キャラと物語、どちらも立てようとする意識がそこにある、という感じが。
ただ、そこでまなびがギアスほどまでは言及されないのは、多分横ベクトルにおける方向性の違いがまずあるんだろうなあ、と。その分、視聴者側のノスタルジーを呼び起こす事で補完させようとしたのだろうけど、かえってそこのツッコミの甘さが物語派(シチュエーションと日常性にこだわりを持つ人種)の最右翼を失望させたというか。
多分、ギアスよりまなびの方がアニメとしちゃ難しいテーマを選んだんだろうなあ、と思う。そして、脱シチュエーション的な方向転換は、多少なりとも成功したと思う。
ただ、個人的には「……高さベクトル的にはどうなんだ?」と思ってしまう作品だよなあ。ああ、フタコイオルタはまだ分かるんだ。なんだかんだ言って頑張った、と思った。コヨーテは、あまりにどうしようもなくて観れなかった。まなびは、……うーん、反動で行き過ぎだろコレ、と。最終的には作画・演出面以外での、ufotableらしさが無くなってしまったアニメだったという感じだよな。
なんにせよ、「ufotableがまだ成長中の制作会社だ」というのが一番よさげな落としどころだと思う。俺はそう思っているし、だからこその失望感をまなびから感じた訳だ。皮肉にもその方が売れてるのだろうけど。まだまだ伸びるところがある。けれど、そこに注力しなかった。そういう寂しさがまなびにゃあ感じられる訳でんな。古い・新しいではなく「突き抜けが足りない」。多分、俺がギアスには「なんかムカつくわ。でも面白いわ、ああ悔しい。ゲラゲラゲラ」と思えて、まなびには「よう頑張ってるよね、動きとか……。でもなー、これでおしまいなわけ?」と思えてしまう違いは、単純にそこだけなんだろうなー。どちらも一応は新しいんだ。だけどその新しさが、「攻め」か「守り」かの一点だけで、気になって仕方なくなる場合があるんだわ。
むしろ、これ以上言葉を重ねても新しい視点が見えてくるのか?と思う訳だが。そろそろ他の作品語った方がええんちゃうか?と。まあ、まだufoを肯定し足りないのかよ、と思っただけだ。
ちなみに、ufoだけが型から逸脱したアニメだとは思えない訳で。例えばシャフト。ひだまりスケッチが深夜アニメの型にはまっているって?いやいや、あの演出方法はどう考えても他のスタジオはやらねーだろ。お話こそ深夜アニメの型だが、パースなんかは普通のアニメからしたら邪道もいいところだと思うし、キャラの崩し方は最近の深夜アニメでは群を抜いた崩し方だし。これが人によっちゃ手抜きアニメに見える訳だしな。でも、そこに美術や映像の知識があったら、きっと見え方が大いに変わるアニメだよなー。
 
そろそろどうでもよい気分になってきた。それに、萌え一辺倒なアニメというのも最近は徐々に勢いが衰えつつある雰囲気もするしな。
しかし深夜アニメなのに型があるって、よう考えると不思議な気分になるなあ。10年前は型もクソも無かった気がするくらいだったのに。