なんで「オタクエリート」なる単語に執着するんだろう

http://d.hatena.ne.jp/t-j/20070328
一番引っかかるのはそこ。「なんちゃってオタクエリート」っつうのはよく分かるが。つうか多分俺。過去になったか現在進行かは分からないけど、それ俺。
もう、オタクエリートなる語の胡散臭さと、見え隠れする権威性が気持ち悪くて仕方ない。権威主義に寄りかかって内実の無い「なんちゃって」君を罵倒しながら、自身の権威主義的な部分には無自覚な感じが、かなりいやらしい。結局、大衆に寄り添う事を嫌う「権威」を崇拝しているか、大衆に不要な干渉はしないが見識を与えてくれる「エリート」を望んでいるかの、非常に似通った違いでしかない。要するに「自分を認めてくれ、いつか自分にその立場を与えられる、今の自分より上の正統」が欲しいだけなんじゃないか。
 

<分類>

(a) アニメを長く見ていて、アニメの見方の作法を確立している人たち=オタクエリート

(b) 好きだ!という理由だけで作品を楽しめる人=非オタクエリート/一般オタク層/ライトオタク

(c) みんなが誉めた作品が良い作品だと思っているだけで自分の意見で好き/嫌いを判断しない、もしくはその勇気がない人=ミーハー?

(d) アニメには興味がない。ネットでみんなが褒めているのにその良さがわからないため、否定する人=ネットが好きなだけの人
私も、概ね、アニオタはこのようにカテゴライズされ、それぞれのカテゴリーに冠せられる名称もまたこのように定義・認識されていると思います。

ただ、私は、(a)と(b)の間に、"ある種の層"が存在し、増殖しているのではないかと感じています。

つまり、オタクエリートに成り損ねた非オタクエリートという人たちです。

 
このような分類が上記の記事ではなされていて、これにちょっとだけ自分の意見を。まず、俺には(a)にあたるオタクエリート像が分からない。そしてこのような人物を何故、オタクエリートと呼ぶのか分からない。俺の感覚じゃこのような人たちが「狭義のアニオタ」、もしくは「アニメマニア」だと思っているから。つまり、ジャンル自体が好きな人というイメージ。
そして(c)は……せっかく面白い表現が日経から生まれたんだし、「チェック男子・女子」と言っておこうよ。
で、(d)は、これは「広義のアニオタ」ですらない。オタクではあるかもしれないが、アニメに執着していないのなら、それはアニオタではないと思う。
だからこれは、「アニオタ」と言わず「アニメ視聴者」分類だな。実効性があるのは(a)から(c)まで。しかし、アニオタではないものの、オタクとしては(a)(b)の中間にある人種が、(d)の一部にも「なんちゃってオタクエリート」として発言している場合もあるかもね。
あと、(a)(b)の中間層が増殖しているとあるけれど、それはあくまでネットで可視領域に入ってきただけの事で、元々こんなオタクいっぱい居たでしょう。漫研とかにさ。『ヨイコノミライ』とかに出てきそうなヤツとか。母数とともに増えて見えるようになったのは、オタキングの嫌ったライト層だけじゃなく、「なんちゃってオタクエリート」も同様なだけ。後者の方が割合は少ないけれど。
 
でも、この分類、オタクエリートというものの実態が曖昧過ぎて分かりにくい。なのでとりあえずスルー。
 
俺がオタクエリートという語を聞いて想像するのは、「業界において批評でメシを食ってる人々」である。第一世代の岡田・唐沢に始まり、第二世代では東とか更科とか、そして第三世代では惑星開発委員会周りとかライトノベル論壇勢とかが、俺の想像するオタクエリート。何故そう思うかというと、草の根だったオタクの批評活動は、完全に業種として定着してしまったから。エリート、すなわち権威になる為には当然オタク内での権力闘争があって、その権力闘争には支持者が必要だった。それは当初草の根活動的なものであったと言える。しかしそのオタクの批評活動はいつしか商業的に成立してしまい、今ではメディアの側に立って消費を促すことがオタクとして権威ある姿というようになってしまった。そして草の根的なオタクの批評活動は、若い世代のオタクにはあまり行われていないという印象がある。ネット上で行われているものは政治的な実効性が弱く、また掘り下げも今一つな批評活動が多い。
このオタクエリート層を信奉するのが免罪符と勘違いして、好悪と批評を結び付けてしまうのが「なんちゃってオタクエリート」と呼べるだろう。そして「なんちゃってオタクエリート」が生まれる土壌は、ブーム的に盛り上がった批評活動と密接に関係しているように思える。アニメで言うと、例えばガンダム、例えばエヴァ、例えばハルヒであるな。だからまなび批判にハルヒを持ち出す安直な人種が出てくるのも、このような特定作品のブーム的で玉製混合な批評が入り混じった中で、なまじっかそういうオタク的振る舞いを覚えたから、という見方も出来る。
ただ、こういう人たちは結果的に淘汰されるんだよ。例えば、他作品をいろいろ見ていくうちにアニメの見方が変わったり、年齢を重ねて中二病的な思想信条に限界を覚えたり、そうならなかったとしても成長がなくって周りの同意を得られるような意見を言えず老害扱いされて排除されたり。それに、彼らにあっさり騙されるライト層なんていない。ライト層は、冷静なオタク批評が打てる年季の入ったオタクより、彼らの意見をあっさり流してしまう。何故なら、ライト層にとってはそんな意見を真に受けても、自分の視野拡大の足しにしたりはしないから。単純に、今面白いと思っているものを、今面白いと思うだけ。別にオタクとしてこうならなきゃいけないとか、そんな中二病的な発想はないだけ。彼らも10年20年アニメを観て、飽きたらアニメ観るのやめるかもしれないし、駄目なオッサンたち同様に「今のアニメは分からん」とのたまうようになるだけかも知れない。
 
正直言って、今やわざわざ自分の井戸を掘り下げてまで嫌いな傾向の作品を観るアニオタなんて、そんなに居ません。特に、都市部のオタクには。だって、そんな事しなくたってテレビつければ現行放送作が飽きるほど存在するし、思い出の旧作はファン数の多いものからどんどん復刻BOXが登場してるしいつでもレンタル出来る、衛星の専門チャンネルもある、ブロードバンド放送もある、動画共有サービスまで存在する。ライトなオタクにゃマトモに感想練るヒマさえありゃしないわな。生活のあるいい歳なオッサン達も、そりゃあ観る作品を厳選するよ。こんな中でわざわざ肌に合わない作品まで追える稀有な人種は、エセ批評ごっこしたい中二病な阿呆くらいのモンですよ。結局は彼らの書く文章なんて、嘲りたいだけの人種に馬鹿にされて、あっという間に流されていくんだし。一方では、濃い人たちが素晴らしい批評をネットで書いているので俺には書くことがない、なんて嘆くオタクまで出てくるご時世ですよ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしないね。
 
で、上記引用先の彼の結論が「オタクエリートもっと頑張れ」と来たもんだ。そりゃあねえよ。違うよ。彼らに批評を託すんじゃねえよ。どんだけ第一・第二世代におんぶにだっこだよ。彼らはもう内ゲバなんか大して興味ねえよ。そしてまた、「そんな最近のアニメよりガンダムが〜」とかしか言えない人はそのままそっとしといてやればいいんだよ。「観ました、面白かったです」でスルーしちゃえばいいんだよ。
身を引いてる人を引っ張り出すよりは、ダメ批評な「なんちゃって」共を徹底的にアメとムチ、「着眼点は面白いよね、でもここはこう解釈するべきだと思うな、ああそうだこんな情報もあるよ、あとそれって結論ありきじゃない?」とか弄り倒して、成長を促してやった方がずっとマシ。安易にオタク年長者の意見をねだって、有難くへえへえ抜かして分かった気になるより、薄いけどズレてる者同士が分かり合おうと必死に双方の意見を交換する方が、ずっとオタク的。
だいたい流行の作品を貶す為という間違った方法とは言え、彼らは彼らなりに濃いオタクになりたいんだからさあ、それをただ馬鹿にするっていうのはどうなの?彼らなりの努力を認めてあげたら?なんだろうね、なんでこうも間違った努力をしてる人に「間違ってるよ、お馬鹿さん」でおしまいな人が増えたんだろうね。まあ、下手に関わって実害こうむりたくないからだろうけど。
勿論、変な権威主義抱えて間違った文章を平気で打てるなんちゃって君も、当然反省しなきゃならないからな。特に、ろくでもない駄文を作ってしまったら、大好きな作品や同じ作品を好むファンに迷惑かかる事だけは心しておけよ、と。それ、優越感ゲームの燃料与えちゃうだけだから。意見を表明すること自体は悪いことじゃない。ただ、その意見にどう読んでもらいたいのか、この意見がどういう反応をもたらすのかは、もう少し考えた方がいい。そして、返された反応にはきちんと応える。間違ってたなら謝る。なまじっか責任取れない文章は、書くな。
ああホント、「それ優越感ゲームでしょ?自己肯定の為に権威が欲しいだけでしょ?」という文章だよどれもこれも。みんなきっと本質的なオタクになるつもりなんか毛頭ないんだろうなあ。「確固たる自分の楽しみ」にまで消化されていないんだよ、オタクであることが。
  
ぶっちゃけ権威主義者も真オタクエリート待望派も、大衆啓蒙という立場に立ちたいという欲望はおんなじだよ。権威として貶すか、エリートとして導くかの違いだけ。どっちもどっち。文章から権力欲がはみ出してるよ?それにさあ、権威化したあの人たちと同じ煽り方してるよねえ。なんだか虚しくなるよな。
 
昔の「なんちゃって」君が、今や丸くなってるとか、既に脱オタしてるとか、普通にあると思うんだけどね。ただ、昔に比べて脱オタしてる人って減ってきているだろうな。趣味にコストをかける生活スタイルとか、独身主義とか、認められてきてるから。ともなると、俺らが第一世代くらいの歳になった時の年寄りオタクの価値は、第一世代のそれとは比較にならないくらい無価値になるよなあ。もう30代でオタクって、よっぽど濃くない限り希少価値なんてないじゃん。黎明期だったら全然違っただろうけど。結局、権威だろうがエリートだろうが、なれる人間が限られてるのは変わらない。ついでに、権威やエリートが必ずしも正しいとは限らない。
 
何が言いたいかって?他人の批評なんか待ってちゃダメだよ、自分から書けよ、伝わるように書けよ、そのためにセンスやら技術やら知識やらを磨けよ、って事ですよ。他人の批評を有り難がって聞き、「そんな批評が分かる俺アタマいい」って、「俺は権威のオタク観を信奉してるから正しい」ってのとレベル的に変わらんでしょ?とだけ言いたい。どうせ権威やら思想やらの影響力が落ちるのがポストモダン社会ってヤツなんでしょ?選択するという行為が重要になってくるんでしょ?自発的に選択材料を集めるのが、そういう社会での正しい態度なんじゃないの?
 
ああくそ、無駄になげえな。自分にムカついて仕方ない。結局テメエも俺も何様なんだよって気分でいっぱいだ。くだらねえ。何がしたいんだか。結局、同じことの繰り返しだよオタクは。こんなネットの片隅で真のアニメ評論なんてものを期待して声を荒げるより、自分から現在活躍してる人間に頭下げて修行させてくれとお願いに行った方がずっと建設的だ。それをやって生き残ることが出来るヤツが、本物だよ。