ぼけーっ。

最近つくづく思うこと。

  • もう「総体」としてのオタクは語れんやな。つうかいい加減自称してる人間は、本当に自分がオタクなのかどうか考え直してみるべきだ。
  • ぶっちゃけオタクのバーゲンセールですよ。上の世代が必死こいて立ててたブランド「オタク=ニュータイプ(またはポストモダン)」が、デフレスパイラル
  • 例のげんしけんおまけ同人の篠房六郎のあれ、よう考えてみりゃあ文化系サークルにゃありがちな事だよなあ、と。
  • 順調に文化系サークルが回るには、逸脱した濃い人間が数人と、そいつらの勘違いを真に受けちゃうマジメちゃん6〜7割と、とりあえず居るだけまたは遊ぶだけもしくは混乱させるだけが狙いの残りが居れば、ベストバランスな訳だ。
  • この時、逸脱者ばかりになるとあっさり分裂し、マジメちゃんばかりになるとマンネリ化の右肩下がり、その他になると換骨脱胎のイベントサークルになるか潰れる、バランス大事ね。
  • 留年しまくるカメラ馬鹿のおかげで成立する写真部、講義そっちのけで楽器ばっか弾いてたOBがプロになるロック研、多分未来のそういう人物が居る事を期待して来るOBが味わう現実、こぼれる説教、そしてジェネレーションギャップ。あるある。
  • でも、説教するOBはまだいい人だ。タチは悪いと感じるかも知れないが。説教する分の期待があるっつう事だ、現役に対して。
  • 多分、現役学生はそこそこマジメちゃんなオタクばかりなんだろうなあ。だから額面通りにしか考えられない。深読み出来ない。自発的に広げられない。
  • だからOBに説教されると、シュンとしちゃう、もしくはポカーンとする、または自分たちなりに頑張ってるのにと逆ギレ入る。
  • とか、これら全部自分に跳ね返ってくるんだが。屈折した自分語り。
  • 良くも悪くもオタクが定着しちゃった、ってのがジェネレーションギャップの原因だよね。そうじゃなかったら、60〜70年代前後生まれのみが知る一ムーブメントに過ぎなかったろうに。
  • ところで、楽天的に「広がったオタク文化から新しい何か生まれるよー」っ言う台詞は、どっから出てくるんだろう。みんな消費者様としてふんぞり返ってるのに。
  • なんだかんだ言って最後は自分の矮小っぷりに泣きたくなる訳だが。
  • 最近の結論は、自分はオタクですらない最低の屑野郎だ、というところに落ち着いている。
  • だが、それが本来の俺だと思う。オタクですら虚飾だ。そんな奴らが山ほど居る。