「頑張って『萌え』について騙っちゃいます☆」なんだこのタイトル、と本人談。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kaien/20061212/p1
見つけた時に何か書こうと思いながらもパソコンを離れ、数時間後にはトラックバックが幾つか。とりあえず、まずは『一本足の蛸』のトラバ記事を読んで元記事の荒さを痛感して、その後『萌え理論』のトラバ記事を読んで『萌え』による可能性を想像すればいいと思うよ、多分。でも結論は俺もカレーくいてえ。
 
「作り手」の「作家性」を深読みするのが古いおたくの流儀、これからは「キャラ」の「萌え要素」を二次創作過程等で再定義するのが新しいオタクの流儀、になるといいね。知らないよそんなの。結局それでも上手くやっていけるのは、万人受けする新視点の提供者だけだよね。他はそれにホイホイくっついていくだけ。まあ、気楽に流行り廃りに乗っかるのも生き方の一つとも言えますわな。そんでもって『萌え』『オタク』、それ自体も廃ったらスタコラサッサ。もしくは「あの頃はよかったなあ〜」と、しみじみ仮想OSでXPを起動させて葉鍵作品に浸ったりとか。勝手に近未来SF風味な妄想を始めそうなのでここで自粛。
 
魅力的なキャラクターなら、「日常」だって十分物語として通じるよ。面白い物語ならイヤでもキャラクターの「個性」が引き立つよ。いいんだよ!『旧おたく崇敬派非萌え主義者』だって『よつばと!』見せりゃ黙るんだよ!もしくは奴らも語る/騙る!どうでもいいね!
 
ところでこれはタダの西尾維新への感想が暴走しただけの記事ではないんですか?全力でブクマ?
 
キャラクターってのは役者なんかと変わらない、と思う今日この頃。「物語」内で何らかの役割を「演じている」という点で。「作品」という舞台を降りた所をより掘り下げたい、そして出来るだけ自分との感覚的な距離が近いところまでなんとか引きずり込みたい、という深層心理が『キャラ萌え』主体の言葉や二次創作には溢れているような気がするようなしないような。
 
まあ、開放感を味わうのもほどほどに。きっと、ただでさえガキっぽい趣味扱いされてんのに、子供みたいな無邪気なはしゃぎ方をするのはよっぽど恥ずかしい事と考えてたから、上の世代は「セーブ」してたんだと思うよ、つうか恥ずかしいよな、そりゃ恥ずかしいわ、ああ恥ずかしい。半分くらい。
そのタブー感が無くなったのについては、さあインチキ社会学の登場です。知るかそんなん。そんなん知るか。
どうでもええねん。オタクってなんや萌えってなんや誰かカラダで教えてえな。自分、もの覚えが悪いさかいに。……あかん、ケツの穴はあかんで!!堪忍や!!たっ、助けてえぇぇぇぇッ!!
 
ああ、かれーくいてえ。トマトカレーのトマトは萌えるぜマジで。コクのある肉のよく煮込まれたビーフカレーのルーに、ほんのりフルーティな味わいが加わって……、なんの話だったっけ?