アイザック・アシモフ『われはロボット』・『ロボットの時代』

なんとなく読み直してみたけれど、やっぱり面白い。『ロボット工学三原則』というお約束が、一編一編ごとに上手く料理されているなあ、とつくづく感じてしまう。
『われはロボット』はロボット心理学者スーザン・キャルヴィンの視点に近寄った、ロボットに対する愛情が感じられる作品が多い。不可解なロボットの誤作動状態が実は人間の下した曖昧な命令と例の三原則とのジレンマで生じたものであったりして、真面目だが柔軟性に欠けるロボットの姿が非常に可愛らしい。
対して『ロボットの時代』では、逆にその三原則が怪しいようなロボットや事件を扱った作品が目につく。こちらに登場するロボットたちは、もし発展していけば三原則を覆しかねないものも含まれている。
もう何がなくともロボットには三原則、まるで謎解きの鍵である。幾つかの作品はミステリ的だ。破られたかのように見える第一条とか、第一・第二より優先されたかのように見える第三条とか、曲者である。
それにしてもキャルヴィン博士は妙な女性だ。なぜ作品内ではあれほど男性にモテないのか不思議で仕方ない。
 
さらにどうでもいいことだが、私の脳内でキャルヴィン女史は、『イノセンス』のロボット検死官ハラウェイ女史のキャラクタ・デザインで補完されている。