火の鳥」でシリーズを横断して登場する猿田一族って、手塚治虫の自己投影なんかなー、とふと思った。
鳳凰編の大和丸と我王なんて、二人とも手塚治虫自身の困った面をそれぞれ分担して表している感じ。負けず嫌いな面と、行き詰まるとドロドロしたモンを表現したがる面と。
あと、八百比丘尼とか、オヤジが猿田一族系の面なの踏まえると、「男装させた我が娘」ってあの作品……?とか。
結局、火の鳥自体とはあまり絡まず非常に人間臭い業を背負わされるとか、歴史の傍観者として配置され結末は見せてもらえないみたいな扱いとか。
 
そんなシリーズでの羽衣編が、漫画の中で舞台劇を表現するというセンスが良くて、意外と好きな作品だったりする。
 
あと、復活編とか望郷編とか宇宙編とか、とってもエロいよね。でもってグロい。
 
しかし我ながら唐突な話題だ。