非常にどうでもよいが、「決断主義」って言葉はマッチョな重みがあるよなー、そこに拒否反応する人間もそりゃーいるよなー、とか思っただけ。
コンテンツに表れた時代の空気の話と、時代の空気そのものの話がごっちゃになると混乱してくる。
 
まあ、よう分からん。時代性が話の前面に出てくると、多数派・主流派が少数派・傍流の連中を話題に乗じて叩いたりとか、その逆で少数派が吠えたり噛みついたりとかが、あちらこちらで始まるからなあ。
そんな中で「いや、それでも俺はセカイ系orひきこもりで行く」と言うのは、ある意味「決断」の表明だよなあ、全くもってポストモダンポストモダン
 
……いや、それは違うんじゃないのか?